鳥取銀行

医療支援

case05

鳥取県米子市
みはな耳鼻・甲状腺クリニック

三宅 成智

医師になろうと思ったきっかけは何ですか?

子どもの頃、祖父の家にドイツ語の本がたくさんありました。
戦前に祖父は医師になろうと勉強していたそうです。試験をうけようと大阪へ行ったタイミングで召集令状、いわゆる赤紙が届いたため、受験はできずすぐに戻って出征したと。終戦後には医師の資格制度が変わり、医師にはなれなかった。その話を聞いて、祖父の夢を代わりにかなえてあげたいなと思ったのが最初のきっかけです。祖父は私が高校生の時に急死してしまったため、医師になった姿はみてもらえませんでしたが、墓前に報告しました。

耳鼻咽喉科・頭頸部外科を選んだ理由は何ですか?

理由は2つあります1つは、私が音楽や、食べることなど、文化的なことが好きなので、視覚を除く五感に関わる診療科にしました。食べる、嗅ぐ、話す、歌うといった行為は、生死とはまた別の意味で、人間の幸せに直結する重要な部分ですから、患者さんの治療にやりがいを感じられると思いました。
もう一つの理由は、りんごの皮剥きが他の人に比べて早いなど、手先が器用だったこともあって、自分は手術が得意だろうという自覚があったからです。後に、「手術は手先が器用ならできる、といった単純なものではない」と理解しますが、それでも手先が器用だったことは役立ちました。

あとは、鳥取大学で『こういう医師になれたらいいな』と思うような、尊敬する恩師に何人も出会えたことが大きかったと思います。教授たちのプロフェッショナルな仕事ぶり、手術、論文、患者さんや同業者に対する態度なども、非常に勉強になりました。

これまでのご経歴を教えてください

鳥取大学医学部を卒業して医局に入り、教授の薦めで、外科手術で優れている大阪の枚方市民病院で研修しました。その後、鳥取大学に戻って博士号をとったのち、頭頸部外科のゴッドハンドと呼ばれる先生がいる草津総合病院頭頸部外科センター(現・淡海医療センター)に行きました。甲状腺手術といえばこの人!と言われるような先生に師事して学ぶことができました。その後、鳥取大学に戻って助教、講師として勤務し、山陰労災病院の耳鼻咽喉科筆頭部長となりました。

開業志向はまったくありませんでしたが、専門的な診療で経験を積むうちに「自分にしかできない開業医のやり方があるかもしれない」と思うようになったこと、家族との生活とその基盤を考えるようになったことから、山陰労災病院に移動する少し前から開業の準備を始めました。

開業前と開業後で働きかたは変わりましたか?

甲状腺や頭頸部癌を診療することが多く、手術の時間が長いなど体力的にも負担は大きかったです。懸命に治療に向き合われた患者さんが亡くなられるのを御看取りするのは、仕事だと割り切ろうとしても精神的な負荷は強くかかりました。当直で夜に家を空けることも多くありましたから、一人でこども3人をみる妻は大変でした。
開業後は、まずは仕事の内容が大きく変わりました。手術はしませんが、勤務医だった頃はしなくてもよかった経営の仕事をするようになり、雇用のことも考えなくてはいけません。雇った人の人生にも責任を持つことになります。幸い、従業員は良い人ばかりで患者さんにも喜んでもらえていると思います。

言語聴覚士(ST)を雇用することは、開業当初から考えていました。言語聴覚士の方を常勤で雇用しているクリニックは全体でも2%ぐらいですし、山陰ではここ(「みはな耳鼻・甲状腺クリニック」)だけだと思います。
言語聴覚士は、発声や嚥下のリハビリを行うのですが、外来でこのようなリハビリができる所はほとんどありません。病院に入院しないと、専門的なリハビリは受けられませんし、リハビリの期間にも制限があったりします。リハビリを受ける患者さんが多くなりすぎて、病院から他を紹介したい時も、紹介できる所はほとんどないのが実情です。
また、病院に来る患者さんは、誤嚥性肺炎になってから来院されて、食事の調整等を行いますが、本当は肺炎になる前の段階で診たいと思っていました。こうした経験を踏まえると、外来で言語聴覚士によるリハビリができれば、大きな意義があると思いました。

どんなコンセプトでクリニックを建てられましたか?

開業にあたり、2つのコンセプトを決めていました。 1つは、「最善のファーストタッチ」です。ずっと大きな病院で勤務してきて、患者さんが私の診察に来るまでにかなりハードルがありました。患者さんは、まず外来のクリニックで診察を受け、紹介状をもらって病院の外来診療に行き、その後に専門外来に来られるので、3回目でやっと私と会います。私は患者さんと最初に出会う医者ではないわけですね。でも、私は最初から会って、初期治療から関わりたいと考えていました。
これまで大学や病院で専門的な教育を受け、多くの尊敬する先生のもとで経験してきたことを活かした医療を初めから提供したい。それが「最善のファーストタッチ」ということだと考えています。

もうひとつのコンセプトは「行きたくなる病院」です。医院としての機能を充実させることはもちろん、患者さんが待っている時間もリラックスできるような空間にしたいと考え、待合室にカフェを併設し、休日には音楽が楽しめるよう、グランドピアノを設置したホールにしました。クリニック自体が、地域のために存在するものだと思いますが、質の高い医療を提供するとともに文化振興にも貢献できればと考えています。
地域の方がこの場所で文化活動を楽しめるように、5月には「食と音楽の祭 みはなフェス」を開催しました。待合ホールである「Be Good Hall」で5組のグループにJAZZを演奏してもらい、地元の飲食店さんに駐車場で出店いただくなど、多くの方に協力いただいて、みんなが楽しめるイベントになったと思います。

クリニックのこだわりは何ですか?

クリニックの全体のデザインは、インテリアデザイナーの潮宏樹(OPPOSITE)さんにお願いしたのですが、潮さんとは以前ライブハウスで出会って個人的に交流があり、素晴らしいお仕事ぶりも知っていたことから、開院に際して設計をお願いしました。天井の高い、大きなホールのような待合室や、患者さんがリラックスできるカフェのコンセプトははじめから固まっていたのですが、動線の確認など、設計の打ち合わせは相当の回数を重ね、A、B、C…H案までは行ったと思います。計画を立て始めてから設計が決まるまでは、2年程の時間をかけました。
診察室の扉のデザインなども、一貫性を持ったデザインにしたいという思いがあり、潮さんに紹介いただいた「dotto.design office」さんにお願いしました。クリニックの入口や診察室にある動物のマークは、患者さんに子どもさんも多いことから、親しみやすさを考えて選んだものです。ホームページのトップのゾウ、キリン、ウサギは、それぞれ鼻、首、耳に特徴がある動物として、当院の診療科を象徴しています。でも、基本的には「こういうクリニックにしたい」という概要をお伝えして、あとの部分はデザイナーさんにお任せし、良い提案を頂いたという形です。

ホールにあるグランドピアノは、昭和50年の物で、米子市内のホテルにあったものを譲り受けオーバーホール(修理)しました。結婚披露宴等でも多数使用されていたピアノですから、患者さんの出席した式でも使われていたかもしれません。地域の方の思い出を受け継ぐことができたのかなと考えています。

開業にかかる資金について

開業にあたり、理想と現実については考えました。入れたい検査機器を全て導入するとなると、コストは無尽蔵に膨らんでしまいますし、待合ホールと併設カフェにしても、それ自体が収益を生み出すためのものではありません。とはいえ、クリニックの特徴として取り上げていただきやすいことや、口コミの宣伝効果があるため、むだな投資だったとは考えていません。レジも自動精算機を入れて効率化し、スタッフが会計処理などの事務をする時間を減らして、患者さんと接する時間を多くしたいという思いで導入しましたが、自動精算機が稼いでくれるわけではありません。そう考えていくと、お金はいくらあっても足りない。
私は、税理士さんに相談して、事業計画の妥当性や運転資金も踏まえて相当保守的に見積もって計画を立てました。開業前に診療圏調査などもしましたが、来患数が減っても余裕が残るように計算して、資金調達を受けることにしました。鳥取銀行は、最初の提案が良かったため、信頼関係を構築できたという点が融資を受けた決め手です。

最後に、これから開業するドクターへのアドバイスをお願いします

開業にあたっては、お金のことや事業計画のことなど、専門外の分野のことを決めないといけません。理想とする医療を実現するために、味方になってくれる人を有償・無償問わず見つけることが重要です。やりたいと思うことが無理なくできるように計画を立てることをおすすめします。

みはな耳鼻・甲状腺クリニック

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